CC(クローズド・サークル)ものです。
地震から逃れようとしてシェルターに避難したんだけど、それがシェルターでは無く、人格転移装置であった。
この一つのSF的要素が付加した事により、閉じ込められた空間で連続殺人が起こっていってしまう。
SFと本格ミステリーが融合した傑作である。
第一章
遡ること二十数年前、米政府はこれを秘密裏に研究していた。
スイッチ・サークル(入れ替わりの環)と名付けられた一室に二人以上で入ると人格転移が勝手に行われるのである。
AさんとBさんが入った場合、Aさんの身体にBさんの人格が、Bさんの身体にAさんの人格が入れ替わる。
表記上これを"A"(=B)、"B"(=A)とする。
後々こんな表記連打の文章になるので、かなりややこしいから脳内が揺さぶられると思います。
また、三名以上でも人格転移は行われます。
これはスライド式に転移が起きていくことが判明しています。
"A"(=A)、"B"(=B)、"C"(=C)の三名が入室すると、
"A"(=C)、"B"(=A)、"C"(=B)となります。
さらに、転移は一度では無く、何度も、何度も何度も繰り返し起きます。これをマスカレードと呼びます。
マスカレードはいつ起こるのか誰にも判りません。その周期も完全にランダムです。
ここで、当然の疑問を感じられたかと思います。
そう、人格転移状態にある者が死んだらどうなるのかという疑問です。
これは肉体と人格どちらも死にます。
"A"(=B)が死んだらAさんの肉体が当然死亡しますし、Bさんの人格は消滅します。
以後は残った者の間で人格転移がスライド式に移動していきます。
自分の肉体に自分の人格が入り込んだ時、最後の一人になれば元の通常状態に戻れます。
こういったルールが第一章で語られます。
また、人格転移という現象を科学的に、あるいは心理学を用いてロジカルに考察していたりして面白い内容です。
博士(♂)と助手(♀)が誤ってスイッチ・サークルに入ってしまうという事故が起き、時は二十数年後の第二章に移ります。
続きは読んでね^^ノ
西澤さんの作品は「七回死んだ男」以来の二冊目でした。
SFよりはアンチファンタジー読みたかったりで一年くらいスルーしてた。
個人的には七回~よりこちらの方が面白かったと思う。
ラストの"落とし前"が綺麗に決まってるしね。
感情移入する対象者である一人称視点の記述者、これが論理的思考のできる人物で説得力がある思考に一見みえる。しかしながら、これに騙されてはダメだと七回~で学んでいたので、論理ミスの条件を念頭に置いて読書した。
ストーリーS フーダニットB トリックB 描写A 論理A 総合S
ホワイダニットが弱いという意見をみかける事があるんだけど、僕の評価でホワイダニットは考慮してないです。
動機というものに作品の評価が左右されるんだろうか。
これが社会派なら左右されるのは至極当然だと思うんだけど、本格ではどうだろう。
納得できる動機じゃないとダメ。しかし、これは小説のお噺であり、現実の話では無いわけで、では逆に現実の実事件で納得のできる動機だと感じる事件があるんだろうか。
大半の実事件の動機を僕は理解できた事が無い。なので全体的な項目からホワイダニットは置いてない。
動機を追及しすぎると作品の幅が狭まると思うし、作家が書けなくなっていくとも思う。
結局のところ僕が云いたいのはホワイダニットによって評価を下げるのは勿体ないってこと。自分から楽しみたくない様にしてるんかなとも思う。
しかしながら、中には例外もある。島田荘司「異邦の騎士」である。これは凄まじい作品で何と読者が殺人の動機を理解できてしまう。賭博黙示録カイジに登場する兵藤和也が執筆した小説<愛よりも剣>の科白「殺すじゃろう…」が脳内再生される程で脳がぐるぐる廻りだすヤバイ小説も確かに存在します。
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