アスピー・エデンに通う生徒達はしばしば「エデンの園」について議論する。
論題は二つある。
1.「エデンはどこにあったのか?」
2.「男性の肋骨の一本から、本当に女性は創れるのか?」
何度かのディスカッションの末、彼らの中では結論が得られた。
ここでは2を具体的に書いて覚えておくことにしよう。
エディンバラ郊外のロスリン研究所で1996年の7月に世界初のクローン生物「ドリー」が誕生した。ある羊の乳腺上皮細胞の核を卵子の殻に入れ、分裂を促してから別の雌の子宮に入れ、着床を持って誕生させた。
クローン技術を考慮すると、旧約聖書の記述から推測するに、これは実際にはアダムの乳腺の細胞を用いてイブを創ったのではないだろうか?しかしこの方法によって創れるものは同じ性のクローンである。そうするとこのエデンの命題は「男性の乳腺細胞からクローン女性は創れるか?」さらに言えば「男性の細胞から女性の臓器は創り得るのか?」という問いかけになる。
子宮内において進行するヒトの発生過程を簡単に説明すると、胎生5週頃に性線が発生し、7週になるとそれが卵巣、もしくは精巣、どちらかに分化する。男性の細胞核を使えば、必ず精巣を作ってしまう。
この時の分化に決定的な役割を果たすのが、Y染色体上にあるSRYという遺伝子である。これは「男性化決定因子」とも呼ばれる。このSRY遺伝子を持っていると性線は精巣に分化し、持っていないと自動的に卵巣に分化する。これ以降の臓器は精巣から分泌される男性ホルモンの有無によって決定される。
アダムの細胞からの発生であっても、このSRYの働きさえ止めれば、性線は卵巣に分化する動きを始めるという理屈になり、イヴは生まれ得ることになる。
SRYの働きを停止させるには、候補として複数の道がある。染色体からSRYを切り出したり、遺伝子操作したRNAを使い、SRY遺伝子の発現を抑制するといった方法が考えられる。今後研究がさらに進めばもっと確実な方法が現れ、男性しかいなかったエデンの園に、女性が現れ得る。
ただし、これで問題は全て解決かというと、そうではない。このようにして男性から女性は現れ得るが、この女性が自身の卵巣で成熟した卵子を作れるかというと、ことはそう簡単ではない。女性の性染色体はXXで、男性はXYだ。この手法では、イヴの性染色体はXYのままということが考えられ、これでは成熟した卵子が作れない。
X染色体が一本しかない染色体異常の女性を「ターナー症候群」と言う。これは卵巣はあるものの未発達で、不妊症を発症する。ただし、子宮はあるので、受精卵の提供をほかから受ければ妊娠することはできる。むろんそのまま赤児を成長させ、出産もできる。
SRY遺伝子の働きを抑えただけでは、ターナー症候群の女性を創り出す結果になるので、堂々と子孫を産み続け、人類の始祖となっていくイヴとしては、まったく不十分な存在だ。イヴを堂々たる人類の母とするためには、彼女に自力で成熟した卵子を創らせる必要があり、そのためには彼女の性染色体を、どうしてもXXとする必要がある。
では男性から女性を創りだす事は絶望かというと、まだ可能性は残る。未受精卵には、余分な染色体があれば自発的に染色体を吐き出し、正常な染色体数に戻す自己調整能力があるので、これを利用するという方法である。
人為的に細胞分裂を制御し、染色体が二倍になる状態にしておき、余分な染色体を卵に吐き出させて、たまたまX染色体が二本残ることを期待するという方法だ。しかし、これは必ずしもうまく行くとは限らず、安定した成果をあげ得るためには、染色体を直接操作する、染色体工学の成熟を待つ必要がある。
もうひとつ命題がある。アダムのクローンからイヴを創りだすことはなんとか可能だが、それにしてもこれを育てる子宮が必ず必要である。エデンの園にはアダムしか存在しなかった。女性がいないのだから子宮がない。これを解消する方法は「ハリウッド・サーティフィケイト」に詳しく書かれていたが、牛や豚などの他の哺乳類動物の雌の子宮を使う事である。アダムの細胞核を、中身を抜いた殻に入れ込んだ卵子を、そういった動物の子宮に入れて着床を待ち、増体させて出産させる。これはミトコンドリアがその動物のものになる不安はあるが、可能なことではある。
しかしこの方法は、あまり聖書的という感じがしない。旧約聖書の文脈からは、他の動物の力を借りているような気配はない。では男のアダムが単独で妊娠出産を成し得るか――?
基本的には子宮外妊娠と同じだが、アダムの横行結腸と呼ばれる、大腸の一部から垂れ下がる大網というヒダ状の組織で胎児を被う。このようにすれば、腹
腔内にむき出しで胎児を存在させるわけではないから、増体の進行は安全となる。
アダムのクローン胚から、分化誘導因子と性ホルモンを用い、クローン臓器製作の手法によって子宮を分化させ、さらにこの中に卵を着床させてからこの大網組織内に入れ戻せば、妊娠はさらに安全裏に進行する。この子宮はアダムの細胞から誘導したものなので、拒絶反応の心配はない。増体が進み、出産すべき時期が来たなら、帝王切開によって赤児を取り出す。このようにすれば、他の哺乳動物の力を借りずに、イヴはエデンに出現する。PR