奇跡の人というと日本人はヘレン・ケラーを連想する。
広く知られることになった戯曲:the Miracle Workerを日本訳で「奇跡の人」としたからだ。
その原題からもわかるようにアン・サリバンがメインなので奇跡の人はアン・サリバンのことだよって言われる。
しかしアン・サリバンは奇跡を起こした人であり奇跡の人はヘレン・ケラーだと思うんだが、これも誤解なのだろうか?
これが戯曲「奇跡の人」とはアン・サリバンのことだよっていうのならそれは正しい。
しかし戯曲であるので史実とは違うでしょう。
三国志演義と三国志正史と同様に実際には違うでしょう。
戯曲が元になった昔の伝記本を読んだことがありますが
あれはサリバンがメインでストーリーも三重苦のヘレンを懸命に教育し最後にwaterとヘレンが発声して終わる。
ヘレン・ケラーという人物はあまりわからない作品であった。
サリバン先生の偉大さと熱心な教育は良くわかる。
サリバンは終生まで50年もヘレンに付き添い、彼女の目と耳と口(ヘレンは大きな声は出せない)になった素晴らしい人である。
the Miracle Workerと言っても良いレベルなのは間違いない。
先ほど、「奇跡の人」ではヘレンの人物像がわからないと言ったがこれは当然だ。
ヘレン・ケラーは戯曲「奇跡の人」の話の後に活躍した人なのだから。
ここで簡潔にヘレン・ケラーの生涯を書くと
・生後19ヶ月で熱病にかかり三重苦になる。
・7歳の時、当時20歳のアン・サリバンと出会う。
・教育を受けて3ヶ月で300の言葉を覚える。
・11歳のとき言葉を話せるようになる。また、初めて言ったのは「It is warm today.」である。
・1900年20歳で現ハーバード大に入学する。このときマスコミは大いに取り上げた。
・1902年「わたしの生涯」出版される
・1904年、極めて優秀な成績で卒業し、視聴覚障害者としては前代未聞のバチェラー・オプ・アーツ(文学史)の学位を獲得した。この年の10月ヘレンの卒業を祝し講演会が開かれ、視聴覚障害者が演説を行ったことで大きな騒ぎになった。
・1906年、マサチューセッツ州盲人委員会の委員となり福祉活動を行う。
・1909年、社会党に入党。婦人参政権運動・産児制限運動・公民権運動など多くの政治的・人道的な抗議運動に参加する。また、著作家としても書き続ける。
以後、世界講演を行う。
めんどくなったのでこのへんで終わっとこう。
あー、1936年サリバン死後はトンプソン女史が代行しました。
トンプソン死後は病気になり1968年死去。
疲れてきた~
要するにヘレン・ケラーは非常に聡明であるということだ。
三重苦だったが言葉を話せるようになったのはヘレン・ケラーが賢かったのと偉大なサリバンが常に協力していたからであり、誰もがヘレン・ケラーのように障害を克服できるわけでは無く、それ故にもっと良い環境を願い福祉活動に取り組み、女性という性別の社会的地位の向上も推し進め、世界大戦の殺戮に反対し、世界中で講演を開いたヘレン・ケラーという人を表す言葉として「奇跡の人」は妥当では無いかとおれはおもうわけ。
ヒューマン・ドキュメンタリー映画としてヘレン・ケラーの映画を作ってほしいですなあ。
誕生から始まり、生後6ヶ月でこんにちはをしゃべり、1年たつとよちよち歩く。
2歳で熱病にかかり、三重苦。
ここまでをプロローグ込みで5分で描き、その後はサリバン先生。
ラストはサリバン先生の葬儀。
エピローグでトンプソン女史とさらに前へ歩き出し、字幕で晩年を語りエンドクレジット。これで綺麗に終わるんじゃないだろうか。
サリバン先生がいなくなった時の心情を共感してみたいと思ったので誰か作ってくれ・_・ノシ